勢いがありすぎてヨーロッパに逆輸入! アンゴラ発「クドゥロ」

現代のアフリカンダンス、pantsula(パンツーラ)に続いて2つ目に紹介するのはアンゴラのkuduro(クドゥロ)またはkuduru(クドゥル)です。
西アフリカの海岸沿いにある国、アンゴラ(アンゴーラ/Angola)の中心的な都市Luanda(ルアンダ)で1980年代に始まったという音楽・ダンス。

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まずは動画を紹介しましょう。↓は2014年末にアップロードされたもので、「こういうステップが入ってないものはkuduroじゃないよ」との注意書きがついています。

Flag_of_Angolaアンゴラは前回までに紹介した南アフリカ共和国がイギリスと結びついていたのと違い、元はポルトガル領。ダンサーにとっては同じポルトガル領のブラジルとのつながりが思い浮かぶ国ですね(※カポエイラ・アンゴーラって、聞いたことありませんか?)。その影響かラテン文化の流入も起きているようで、カリブのsoca(ソカ)等の音楽に、地元のパーカッションを組み合わせてサンプリングした音楽が始まったというのが、kuduroの源流とのこと。

pantsula(パンツーラ)の音楽、kwaitoと比べると、より明るくパーカッションの手数も多いkuduroですが、デジタルミュージックがミックスされた若い世代のレベル・ミュージックとしてアンゴラ系ポルトガル人の間でも広まり、ヨーロッパのダンス・ミュージックとのミクスチャーとして発展。ラップや歌が入るのも当たり前で、音楽ジャンルとしても拡大中。その起源は「映画のなかの酔っぱらいが披露していた変な踊り」とも言われているそうで、ダンスのスタイルと音楽が密接に結びついていることがよく分かります。

そしてこちらはkuduroとhouseダンスが混ざったレクチャービデオ。このレクチャーをしているManuel Kanzaさんはvoguingやアルゼンチンのダンサーと組んで企画をしてみたり、かなり意欲的な活動を展開しています。

この人は内戦を避けて国外で育ち、95年にアンゴラに戻ったというおそらくkuduroダンサーとしては2、3世代目。コンテストで優勝したのをきっかけにポルトガル/ブラジルへダンス留学する奨学金を獲得。帰国後もkuduroや、afro houseというスタイルで活動、周辺にも若いダンサーたちが集まっているようで、↓のビデオもNYハウスとkuduroがミックスされていて面白いです。

アンゴラは1975年にポルトガルから独立し、その後は内戦が続くという厳しい歴史が続いていました。国内だけで60もの言語が話されているという多様さ、美しい自然や石油などの化石燃料にダイヤモンド、鉄鋼などなど資源の豊かさで知られています。情勢が安定し、特に石油のおかげで経済的に急速に成長。旧宗主国ポルトガルの企業を逆に買収する(「インドの企業がイギリスのTV局を買収」みたいな感じでしょうか?)という事例があったり、文化的にもアンゴラの音楽やダンスがポルトガルや同じくポルトガルに支配されていたアフリカ諸国に流入するという、とっても興味深い流れが起きています。

それが世界的に露出したのは、ポルトガル+アンゴラの音楽グループ、Buraka Som Sistemaの大ヒット。こちら↓はその名も“Sound of Kuduro”というM.I.A.参加曲。一度聴いたら忘れられません。

かつてYouTubeで大人気になったアンゴラの片足のダンサー、Costuleta (コストゥレータ)もkuduroダンサー。

個人的には3月に公開されたイケイケ感満載のこのミュージックビデオがたまりません。ファッションもビートもダンスも最高にかっこいい!!
Mimas Zdruey “Djamba” (Feat. Dj DorivaldoMix)

全体に、pantsulaと違って「揃えて踊る」という文化はあまりない様子。アメリカのダンスの影響もかなり見えますが、アフリカ系ダンスに多いステップで見せる部分と腰まわりの使い方のミックス具合いがまた面白いですね。ここ数年でも変化を続けている、「生きているダンス」という感覚が動画だけでもビシビシ伝わってきます。
ルアンダとリスボン、行ってみたいですね!

ABOUTこの記事をかいた人

とにかくクラブで踊るのが好き!という自分の趣味をそのまま仕事にしたライター、編集者、コーダー。 ダンス雑誌『Dance Style』(リットーミュージック、現在は休刊)で編集やDVDシリーズ9本の監督を務める。音楽方面では渋谷のナイトクラブshibuyaNutsで広報・メディア制作を担当。